中部軍 (日本軍)
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中部軍 | |
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創設 | 1940年(昭和15年)8月 |
廃止 | 1945年(昭和20年)2月11日 |
所属政体 | 大日本帝国 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 軍 |
所在地 | 日本 |
最終上級単位 | 防衛総司令部 |
最終位置 | 大阪府大阪市 |
戦歴 | 第二次世界大戦 |
中部軍(ちゅうぶぐん)は、大日本帝国陸軍の軍の一つで、1940年から1945年まで、中部地方西部・近畿地方・中国地方東部にまたがる中部軍管区の防衛と徴兵・動員などの業務にあたった。前身は1937年(昭和12年)に発足した中部防衛司令部である。1945年(昭和20年)2月11日に、作戦部隊を第15方面軍に、その他を中部軍管区部隊にと分け、廃止になった。
沿革
[編集]中部防衛司令部は、中部防空管区の広域防空を計画・指揮する限られた権限の組織であった。1940年(昭和15年)8月、東部・中部・西部の各防衛司令部を東部・中部・西部軍司令部に改称し、防空に限らず、中部軍管区の防衛と、徴兵・動員などの業務を担わせることとなった。
なお、1941年(昭和16年)7月、これらの軍司令部を広域防衛の見地から一元指揮する為に防衛総司令部を置き、1944年(昭和19年)に指揮のみでなく統率もするものとしたが、1945年(昭和20年)には、第1総軍・第2総軍に改編し完全な統率機関とした。(ただし、北部軍については1943年(昭和18年)北方軍に、1944年第5方面軍に改編、第1総軍や第2総軍とは別の体系とした。)
司令部庁舎は旧大阪市立博物館で、現存している。
中部軍の人事
[編集]歴代司令官
[編集]- 中部軍司令官
- 岩松義雄 中将:1940年(昭和15年)8月1日 -
- 藤井洋治 中将:1941年(昭和16年)6月20日 -
- 後宮淳 大将:1942年(昭和17年)8月17日 -
- 飯田祥二郎 中将:1944年(昭和19年)2月21日 -
- 河辺正三 中将:1944年(昭和19年)12月1日 - 1945年(昭和20年)2月1日
歴代参謀長
[編集]- 中部軍参謀長
- 青木成一 少将:1940年(昭和15年)8月1日 -
- 末藤知文 少将:1941年(昭和16年)8月25日 -
- 国武三千雄 少将:1942年(昭和17年)12月2日 - 1945年(昭和20年)2月1日
歴代兵器部長
[編集]- 中部軍兵器部長
- 番行善 少将:1940年(昭和15年)8月1日 - 1942年(昭和17年)12月1日[1]
- 辻演武 少将:1942年(昭和17年)12月1日 - 1945年(昭和20年)1月20日[2]
- 宮尾幹 大佐:1945年(昭和20年)1月20日[3] - 1945年(昭和20年)1月29日[4]
歴代経理部長
[編集]- 中部軍経理部長
部隊編成
[編集]中部軍司令部
第63独立歩兵団
第64独立歩兵団
中部防空旅団[6]
参考文献
[編集]- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。
脚注
[編集]- ^ 福川 2001, 471頁.
- ^ 外山 1981, 337頁.
- ^ 「第14号 昭和20年1月21日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120931700
- ^ 「第22号 昭和20年1月30日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120932500
- ^ 福川 2001, 354頁.
- ^ “●日米交渉当時の日本陸軍の部隊編成”. アジア歴史センター 国立公文書館. 2023年2月9日閲覧。